気がつくと佐幕漫画ばっかり描いていました!
これからも多分幕末漫画は新撰組・会津好きなので佐幕漫画ばっかりですが、
佐幕派ではないです。
(和宮さま、新撰組、会津藩の皆様には秘密です!慶喜はどうでもいいです。)

幕府はなくなるべきだと思いますが、もっと平和的にあんなに人が死なない
方法でなくなってほしかった! 
 
幕府が続くと生まれたときから武士に威張られたり、たかられたりしないといけないし、
武士でも藩主の気分で首がなくなったりもうもう色々ありえないです。
思ったことを口にするととんでもないことになるし!漫画も描けません。

社内闘争に敗れても、命まではとられない現代で本当にありがたいです。
 
 
 職業の独占も嫌です!能力がないからこの仕事はさせられないよ、と言われるのは
平気ですが、武士じゃないから、ランクが低い家柄だから、先祖がイケてないから、
女性だから、オネエだから、体が不自由だからとか言われるのは納得できないです。

気分的には、無理やり力で納得させることがでなくなったから、幕府は滅びたのだと思います。
 
 幕末をどう理解したらよいのか分かりませんが、わたしには昔社会で習った
「参政権運動」というのが一番あてはまると思います。

江戸時代はその立場(老中)になければそのこと(政治)を語ってはならない
というだまって俺(御公儀)についてこい社会だったので、すごく偉く見える大名でも国政に意見を
言えず、これっておかしくない?と水戸とか薩摩とか強い大名、藩主レベル(帝も!)で
参政権を求めはじめて、それが藩士、町人、農民レベルまで浸透していったのが
幕末のような気がします。
そしてたいてい自分のとこ(社会的階層)までしか参政する権利はないと思っていたような…
女性はまだ置いてけぼりっぽいです。

 
 参政権は権利で、いろんな当たり前な権利意識に目覚めた、その可能性を知ったけれど
実際にそれをどう実現させるかというと前時代的な天誅(テロ殺人)や焼き討ち的な暴力行為
だったのが、やっぱり軍事政権だったからなのか、時代が古いからなのかもともとそういうことには
暴力がともなうものなのかよくわかりませんが、残念です。
 
 幕末や明治維新期の物事がひっくりかえったり、色々新しくなったりする規模やスピードはものすごく
て、気が付くと藩がなくなって藩主びっくり!でしたがここですごく知りたいことがあります。

性格も能力も全然違うので、志士の気分になって考えるのはすごく難しいのですが、あえて志士気分
になってみるともう独裁政権・幕府への怨念がふつふつとわいてきます。そして藩主への
気持ちも複雑です。生き残りの為、方針変更で友志士たちが切腹させられたり、月照やっぱり始末して
と言われたり、自分もある日今日死んでねと言われたりなんか 寺沢武一先生の「コブラ」にでてきた
「生まれたとき首の下に爆弾を入れられて、逆らうとそれを爆破されて殺される龍の一族」みたいです。
 
わたしなら爆弾を取り除きたいです。参政権より生存権!(→分かちがたいのかもしれないですが)

賢くて胆力がある人がそう思っていることがばれないように物事を進めて、それが目的だと分かると
なんか志が小さいとか色々言われるから、それが目的じゃないけど結果的にそういえばそうなったね、
みたいに藩主の殺傷権を奪ったのがわたしには廃藩置県的政策のみそのような気がしました。

生き物には肉体的にも精神的にも環境適応能力があるので、外圧以前の江戸時代の武士たちは
首の爆弾をそういうものとしていきていたけれど、爆弾が入ってないペリーとか来てそういう
生き方の可能性を知ったのではないでしょうか?

武士が簡単に死ぬのは、簡単に殺されるからだと思います。
殺される前に自分で死ぬ、という感覚で、この先多分天寿を全うできるという確信のあるわたしたち
とは環境・状況がちがうので、死生観も違ってあたりまえなのだと思います。 
 
 2013/07/17