プチャーチンの『ヘダ号進水』をチャムチャムちゃん版でまねて描きました!

嘉永6年、い(1)や(8)でご(5)ざる(3)ペリーさんの1853年7月にやってきたロシア使節極東艦隊司令長官
プチャーチンの乗艦ディアナ号が1854年の地震に伴う津波で大破後沈没しました。

『プチャーチンは一日も早く帰国させたがっている幕府と交渉、伊豆半島西岸の戸田(へだ)で洋式帆船
建造にとりかかった。 (中略) 船舶建造は戸田村の船大工棟梁上田寅吉(後日の横須賀造船所初代
工長)以下、協力する多くの日本人船大工にとっては、技術習得の絶好の機会となった。』
                                     「幕末維新変革史」(上) 宮地正人

この造船費用をどうやって工面したのか書いていませんでしたが、すごく気になったので予想してみました。

1)プチャーチンはもしもの時用のへそくりを持っていた。ものすごく。
2)プチャーチンの高価な持ち物、船の貴重品を売った。
3)とにかく出て行ってほしいので幕府がおごってくれた?→でも、お金に困っていたのでこれはない?

そのあとネットで「プチャーチン  造船費用」で検索すると簡単に答えが分かりました!

全部はずれで、答えは「幕府の費用で船を造り乗って帰って、あとで船を返した。」でした。

船はプチャーチンが持っていた設計図で作ったそうですが、そういうものはいつも持ってるものなのか
たまたま持っていたのか?これもまた調べてみたいと思います。

AちゃんとKくんのママが退職されるので「船出」をイメージして寄せ書き用に描きました〜

                                              
 
 

 2013/04/04