久慈(くじ)郡 その2


【地名由来説話】

ヤマトタケル「天皇」が、蜜筑里(みつきさと)の丑寅のほうの助川(すけがわ)の馬家が
あるあたりで、「オオ」タチバナチメと出合った。

そのため、そこは遇鹿(あうか)と名づけられた。




「遇鹿(あうか)」地名は行方郡にもあります。

そちらは「ヤマトから下ってきて」という記述もあるので、ドラマチックに出会ったのは
そちらで、久慈(くじ)郡の「遇鹿(あうか)」は別ルートで回っていたのが合流した場所、
というイメージです。

オトタチバナヒメがデパ地下で買い物している間、オウスはゲームコーナーに居て、
待ち合わせ時間に合流した、という感じです!

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2011/05/04