多珂(たか)郡


【地名由来説話】

道前(みちのくち)の里に飽田(あきた)という村がある。

ヤマトタケル「天皇」がこの村に宿られた時に「この野には鹿が多く、また海にはアワビが産し、大きさが
八尺(やさか)ほどもあるものがあります。その他種々の珍味が多く、遊魚(うおのあそび)の利(さち)が
多い所です。」と或人が申し上げた。

そこでヤマトタケル「天皇」は、野に行幸になり、「オオ」タチバナチメを海にやって、おたがいに
野の幸と海の幸との捕獲競争をなさった。

終日狩をしたヤマトタケル「天皇」は、1頭のイノシシすら得られなかったが、海に行かれた「オオ」タチバナチメ
は、しばしの間に沢山とって、ことごとく百の珍味を得られた。

「今日の幸競いは皇后が勝ったおかげで、海の味はことごとく味わうことができ、飽きるほど食べた。」
と御膳につかれたときヤマトタケル「天皇」がおっしゃったので、飽田(あきた)と名づけられた。



オウスは霧で獲物が見えません。

ヒメはさかなクンの指導を受けました〜
ヒメの大事な竹コップを描き忘れてしまいました…!

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2011/06/08