その2です

走水で入水をした時の、オトタチバナヒメの気持ちを色々想像してみました。

(個人的感想で、色々間違ってると思いますが大らかに読み流してください〜)

【注!】映画「アルマゲドン」に関するネタバレがあります!!
ご注意ください!









まず、入水という手段の確実性についての認識はどうだったのでしょうか?

入水を止めなかったことで、ヤマトタケルは入水とその効果に
懐疑的ではなかったと思われます。

オトタチバナヒメは?

せめて映画「アルマゲドン」のクライマックスのブルース・ウィリスのように
「おれは娘を(ついでに娘の彼氏も)、地球を救ったぞ」という満足感を最後に
もっていて欲しいのですが、どうだったのでしょうか?


日本書紀に入水(イケニエ)についての面白いエピソードがあると
(子供向けの本で!)知ったので、参考にご紹介します ↓


(大阪弁、間違ってたらすみません!)

ヤマトタケルの方が時代が古いし、コモロコには命に代えても堤防を完成させたい!
という意欲はないのでなんともいえませんが、この話を知った時、
入水について私達現代人と近い感覚の認識が古代にもあったんだな、と思いました。


そして、オトタチバナヒメは賢い女性だと思います。

海は荒れるし、自分はもうすぐ死んでしまうというときに、あれほどしっかりした
発言をしているので、賢くそして恐ろしく自制心が強い方です。

イメージは、イ・ビョンフン監督(「チャングムの誓い」の監督です!)作品の
「イ・サン」に登場するイ・サンの正室です。


想像ですが、オトタチバナヒメは、ヤマトタケルのように入水効果に100%の
確信をもっていなかったと思います。


それでもあえてそれに賭けたのは、夫・ヤマトタケルへの愛と、妃としての
責任感と、一人息子のワカタケルのためではないでしょうか。


ここで父も母も死ぬわけにはいかない、ワカタケルのために
父親だけでも生き残らせたい、そう思ったので100%の確信がなくても荒れる海に
飛び込んだのだと思います。



古事記には「入水後、嵐がやんだ。」としか書いてありません。

入水のお陰で、的な表現がないのは、入水すれば嵐がやむということが
当時の人々には自明の事だったからかもしれませんが、

わたしは、安万侶や阿礼がオトタチバナヒメを思いやって、あえて入水効果の
判定をぼかしたのだと感じました。



古代の物語を現代の価値観で読むのは作者の意図と外れた間違った事
なのでしょうが、わたしにとって、古事記の走水の物語は、
オトタチバナヒメのやさしさと強さにとても感動して、
でも入水という判断には「どうかお考え直し下さい!」と言いたい、
そんなとても悲しい物語です。

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2011/01/14